羊毛フェルトとの出会い そして東京藝大院へ

こちらは作品ではなくグリーンバックを使ったメイキング。
「バレエを教えている母を参考にしてました」(お姉さん談)

真狩:ICAFの武蔵美プログラムで『恋はエレベーター』が上映された時に見里さんを知りました。『あぶない!クルレリーナちゃん』も上映されてたんですね。

見里:『恋はエレベーター』は3年の時に芸術祭の企画に向けて自主制作したのが最初です。断片的にはICAFのジングルとして上映されたりもしていて、完成版が4年の時に上映されたことになります。その時に『あぶない!クルレリーナちゃん』も上映されました。

『あぶない!クルレリーナちゃん』は3年の時に東北新社の中島信也さん(現:代表取締役社長)がやっている映像デザインという授業で、ACCのCMを作ってみるのがあったのがきっかけです。2DやAfter Effectsでの作業に慣れてきたところでしたけど、『コララインとボタンの魔女』を見てコマ撮りを作ってみたいと思っていたことから、ようやく手をつけました。

コマ撮りは2Dと違って材料費、機材、撮影部屋とお金がかかるイメージがあったので、なかなか手を出せずにいました。それなりに安い価格で気軽に作れることに気づいたのは、たまたまユザワヤで羊毛フェルトを見て魅力を感じてからですね。『あぶない!クルレリーナちゃん』はACジャパンCM学生賞(現:広告学生賞)で優秀賞をもらいました。

コマ撮りというと粘土(クレイ)のイメージも強いですよね。予備校でも藝大対策として水粘土を使った課題もあったりしましたけど、すぐ指紋がついて汚くなってしまったりで苦手意識があって、個人的には難しかったです。羊毛フェルトは針で刺して絡めて作れる素材なので、指で押しても人形(パペット)に指紋がつかないし、柔らかい動きもできて、スゴくいいなと思っていました。

『モルカー』にも出ている『AKIRA』のネタ。
Twitterで他にも色々とバズっていておなじみ

真狩:これは篠原(健太)さんからの情報なんですけど、武蔵美の時はDragonframeを持っていなかったように聞きました。

見里:『あぶない!クルレリーナちゃん』の時は持ってなかったですね。たまたまデジカメにオニオンスキン(注:1枚前の写真を透過して表示する機能)があって、それで撮影したものをAfter Effectsで編集していました。

『コララインとボタンの魔女』は本当に衝撃を受けて、最終的にBlu-rayを買ったくらい好きな作品なので、どうやって制作したのか情報を探っていってDragonframeを知りました。『あたしだけをみて』ではDragonframeを使っています。

真狩:その『あたしだけをみて』がスゴいらしいと耳にしたので、TOHOシネマズ学生映画祭に見に行きました。卒業制作展後に初めて映画祭で上映されるのもあって。

見里:4年の時は就職活動も気にしていて、進路相談室にも行って話もしたら「映画祭で賞を穫れば就職の役に立つ」とも聞いたので、作品を応募していくようにしました。『恋はエレベーター』は女子美(女子美術大学)がやっていたこどもアニメーションフェスティバルで入選したんですけど、あまり色んな映画祭を知らなかったのもあって、そこまで応募してはなかったですね。

『あたしだけをみて』を制作していた時は「これで人生の半分を変える!」みたいな気持ちだったので、色々と積極的に調べて応募していました。TOHOシネマズ学生映画祭はショートアニメーション部門でグランプリも獲りましたし、そこで色んな人たちとコミュニケーションして他の映画祭を知ったりもしました。自分の中で映画祭の知識が広がっていく感覚がありましたね。こどもアニメーションフェスティバルでは審査員特別賞でした。


武蔵美の卒業制作優秀作品ページ

武蔵美の卒業制作優秀作品ページより。ゼミの教授・
陣内利博さんが予言者のよう(“人間は愚か”的にも)

多摩美の大学院も受験 藝大院に入ってみたら……!

真狩:武蔵美を卒業してからは、就職ではなく大学院で藝大の映像研究科アニメーション専攻に進学することになりましたね。

見里:藝大院のアニメーション専攻は武蔵美2年の時に、友達から渋谷のユーロスペースで修了制作展(注:先に校舎のある横浜でも開催)をやっていると聞いて知りました。その時に見たのは5期生の作品で、当真(一茂)さんが羊毛フェルトで作っていた『パモン』とかが印象に残っています(注:同じく5期生である小野ハナさんとのユニット・UchuPeopleで『ポプテピピック』に制作参加など。なお小野さんは『モルカー』にも制作参加している)。

それを知ったのは、同時期に同じ渋谷のアップリンクでやっていたタマグラアニメ博(注:グラフこと多摩美のグラフィックデザイン学科ならびに大学院の同研究領域で制作されたアニメーション作品の上映会。卒業制作展や修了制作展とは別)を見に行っていたからでもありました。

就職活動は他の人よりは少ないですけどしていました。先ほども話したようにグラフのアニメーション作品に憧れていたのもあって、野村(辰寿)先生がいるロボットも受けました。野村先生が『STRAY SHEEP』の作者だったからでもあります(注:このほか『ジャム・ザ・ハウルネイル』、『ななみちゃん』など)。それで野村先生に手紙を書いてみたら見学する機会を得られて、制作中だった『あたしだけをみて』も冒頭だけ見てもらったらスゴく褒めてくれました。

結局、他の会社だけでなくロボットもダメだったところ、野村先生からグラフの大学院を薦められたので受けることにしました。就職活動しながらも『あたしだけをみて』を作る時間が取れないのは嫌だと思って、制作に専念することに決めたからでもあります。ただ藝大院も受けていて合格して、そちらに行くことにしました。

ICAFにて(手持ちの写真から)

ICAFにて(手持ちの写真から)。各校選抜作品として
代表になっていた。ちなみに1位は東京造形大学の作品

見里:武蔵美の頃はアニメーション制作の設備がなかったので、『あたしだけをみて』の制作は自宅の横にあるアパートを使っていました。藝大院は設備があることに憧れを抱いて行きたいと思うようになったんです。受験の時に思ったのは学科試験や実技試験もあるんですけど、一番大事なのはポートフォリオですね。『あたしだけをみて』のおかげで入れたんじゃないかなと思います。

真狩:藝大院の在籍中に伊藤(有壱)先生(注:『ニャッキ!』など)に聞いてみたら「教えることないんだけど」って言われましたよ(笑)。

見里:そんなそんな恐縮ですよ(笑)。クロッキーとかの実技試験があまり上手くいかなくて「終わったな」と思ったら合格できていたので、ポートフォリオの影響でしょうかね。実技試験はポートフォリオが本当に本人が制作したものかを確かめるためにやっているんじゃないかとも思います。

真狩:そして藝大院に入ってみたら、先ほどの『アトミック・ワールド』の今津さんがいたんですね(注:アニメーション専攻の歴代の修了生には、昨年の話題としては『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』シリーズディレクターなどの唐澤和也さん、東京パラリンピック2020開会式・映像ディレクターなどの牧野惇さんがいる)。

見里:武蔵美でお世話になった陣内(利博)先生から今津さんも受けると聞いていたんですけど、本当に入学してました(笑)。藝大院に入れたので施設とか環境は存分に使おうと思いましたね。1年次に『Candy.zip』を作ったのは『あたしだけをみて』で羊毛フェルトに飽きていたのと、新しい素材にも挑戦したかったからです。

実はこのタイミングで『モルカー』の企画も考えていました。『Candy.zip』とは別に企画書も用意して藝大院でプレゼンもしたんですけど、モルモットを車にするという案は実現しませんでした。ちなみに『Candy.zip』で作中のPCの壁紙にモルモットを使っています。先ほど話したミルキーですね。『あたしだけをみて』ではスマホがモルモットになっている時に、ミルキーの声を使っています。

なまくら刀

なまくら刀』(視聴は右の「作品を見る」から)。
現存している日本最古のアニメーションもカットアウト

見里:『Candy.zip』は人形などの立体を使うのではなく平面の作品です。カットアウト(注:切り絵。映像編集で使われる意味とは別)の素材としてプラ板を使う挑戦ができたのはいいんですけど、肝心の世界観や物語に時間をかけられなくて、個人的には満足いかない作品になってしまいました。1年次は色んな授業を受けながら作っていたので、制作期間自体は長くとれなかったんですよね。

なので2年次では、より物語に特化した作品にしようと思いました。1年間まるまるとれるので、修了制作の『マイリトルゴート』も「人生の半分を変えるために作る!」という気持ちで制作に集中することにしました。先ほど粘土に苦手意識があるという話をしましたけど、オオカミの内臓とかに活かしてみたら、視覚的な気持ち悪さを伝えることができたので良かったです。

真狩:武蔵美に在籍していた頃のような面白かった思い出はありますか?

見里:武蔵美の頃とは違って周囲もスゴい人が多かったので、緊張感を持ちながら制作できました。そのような中でもワイワイやって楽しい思いをしたこともあります。みんなで修了制作展の告知としてピクシレーションも作りました。

それでもやっぱり藝大院の在籍中は制作で精一杯だった思い出が多いですね。横浜だったのもあって自宅から遠いですし。『マイリトルゴート』の制作中は簡易ベッドとか持ち込んでいて、自宅に帰るのは1週間に1度とか、ずっと制作の日々を送っていました。

できるだけ徹夜はしないように心がけていて、夜は11時か12時には寝て、朝は8時には起きてはいたんですけど、午前中は海外作品を見たりしてサボってたこともあります。就職活動は始めから諦めて、修了後の1年間はフリーランスかなと思っていましたね。修了後はしばらく予備校の先生をやっていました。ポートフォリオの話もしています。

修了後に今津さんがアニメーションディレクターを務めた。
見里さんほか歴代修了生も数名参加(参照:映像作家100人
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