アニメーションとコマ撮り 作品をPRするには


日本アニメーション協会

日本アニメーション協会より。初代会長は手塚治虫。
ここでアニメとアニメーションが意味しているのは?

真狩:幼少の頃から学生時代までを追想してきたところで、ちょっと趣向を変えます。見里さんは基本的にアニメと言わずアニメーションと言いますよね?

見里:基本的にはそうですね。自分でも分からなかったんですけど、藝大院に入ってからアニメとアニメーションとで言葉に違いがあるのを知りました。アニメの方はジャンルとして商業的に扱われているものではないかと思うんですよね。アニメーションの方は作品として、クリエイターによるものとして扱われているのではないかと思っています。

海外でもアニメは日本の作品ジャンル的な名称になってますよね。海外の映画祭に触れていくうちにアニメは日本の言葉なんだと気づいた感じです。アニメーションはディズニーとか海外をベースとした話として聞いたりしているので、アニメという言葉は日本特有なのかなとも思います。

真狩:商品展開寄りがアニメ、制作過程寄りがアニメーションといった使われ方をしているのとは別に、ルック(絵柄)としての使われ方もあるのでややこしいですね。見里さんの作品の場合はルックが海外寄りなので、アニメではなくアニメーションということになるんですけど。

その両方を使い分けた方が良い理由としては、日本語でアニメと書いていたら自動(機械)翻訳される時に、そのままローマ字で“anime”と訳されてしまう問題もあるからです。海外で日本寄りの“anime”的なルックの作品が増えてきたと言っても、日本にも見里さんのように海外寄りの“animation”的なルックの作品もあるわけで、自動翻訳で対応できていない限りは意識して使い分けておく必要もあるのではないかと思います。

1つの例として、見里さんがNHKのEテレに出演した「高校講座(美術I 第19回 アニメーション ~動かす表現~)」は、藝大院の1年次に収録だったんですね。

見里:Facebookで依頼が来たんですけど、『あたしだけをみて』を色んな映画祭に出して、入選したり受賞したりというのをシェアしていて、色んな人に見てもらえた結果になります。

NHK高校講座

NHK高校講座」より。該当する
箇所の視聴は「動かすデザイン」から

真狩:番組ではアニメとアニメーションの使い分けも面白かったんですよ。ミケさん(CV:山口智充さん)はアニメ、見里さんとシシド・カフカさんはアニメーションって言ってますね。ナレーターは見里さんを紹介する時はアニメで、シシドさんが制作する時はアニメーションと言っています。ナレーターというよりも、番組ディレクターが原稿を用意していると思いますけど。

番組中でシシドさんと作る時、使ったのはカメラのダイヤルだけですか?収録時間内に終わらせようと思ったら、フレーム(コマ)数が少なくないと厳しいですよね。

見里:自分は傍で見てただけですね。シシドさんがアニメートして撮影したので。アドバイスする際にサポートしたりはしましたけど。Dragonframeとかは用意されなかったので、カメラの液晶モニターから人形を見て撮影していました。

真狩:それで最後に見里さんの出演が終わってから、シシドさんがアニメと言ったところでアニメーションと言い換えてるのがポイントなんです。いやこれは良い教材ですよ。アニメとアニメーションとのせめぎ合いで謎の緊張感もあって(笑)。そもそも教材である一方、メタな視点でも勉強になりますから。

見里:(笑)。自分がアニメと言う時は、親しみを持ってもらう場合ですね。Twitterの字数制限とかは気にしてません。「アニメじゃなくてアニメーションと言うように」と言われた時もあった気もしたんですけど、具体的な違いが何なのかまで考えたことはなかったです。

真狩:最近よく言われる多様性の話にも当てはまるはずなのに、その違いが重要視されていない感じですね。自動翻訳の問題も含めて、ややこしくても違いを分かっていれば、情報の解像度も上がりますし役に立ちます。

ルック(絵柄)におけるアニメとアニメーションの違い

一番ややこしいルックの図解を試みた。解釈が
異なっていたら違いの説明まで異なってしまう

真狩:その「高校講座」からの話の流れで……。コマ撮りの場合は必ずしもカクカクさせたくてさせてるわけではないですよね?

見里:コマ撮りはヌルヌル動いてしまうと3Dだと思われてしまうんですよね。3Dだと今は実写かと思われるようなものまで作れるようになっているじゃないですか。一方で3Dでも『レゴ・ムービー』とか『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』とか、あえてフレーム数を減らしてコマ撮りっぽく見せている作品もあって。

真狩:その辺りは『モルカー』の配信イベント東京アニメアワードフェスティバルの短編1次審査でも話していたことですね。実際に『モルカー』が放送された時でも「コマ撮りでこんなことができるんだ!」って新鮮に思ってくれた人が多くいたのはいいんですけど、同時にコマ撮りが知られていないのではないかという……。

見里:コマ撮りクリエイターにとっては肩身が狭くなるのではという懸念はありましたね。伊藤先生も一時期は「コマ撮りが滅びるんじゃないか」と話してたりしましたし。

真狩:逆に見里さんはヌルヌルというよりは、カクカクさせることを意識しているということですか?見里さんのように羊毛フェルトのような柔らかい素材も使っている場合、ヌルヌルさせにくいとは思いますけど。先ほどの篠原さんのようにフィギュアを使っているのとか、堀(貴秀)さんの『JUNK HEAD』みたいな硬い素材だったらヌルヌルさせやすいですよね(注:『JUNK HEAD』の制作に使われた機材は『モルカー』でも使われている)。

見里:それはありますね。でも他の人より自分はヌルヌルさせてる方ではないかとは思います。羊毛フェルトのような柔らかい素材を使って、顔の細かい表情とかをやっていきたいですね。表情の細かさに関してはピクサーの影響を受けているとは思います。コマ撮りは1枚の写真であっても、それが物体であることがはっきり伝わると思うので、フレーム数を減らしてカクカクさせることで手作り感を出せるんじゃないですかね。

フレーム数を調整するか否か 名称の個人差と規模

映像研には手を出すな!』より。このコマにおける
アニメとアニメーションは、ルックではなく作画枚数

真狩:配信でもゲームでもVRでもフレーム数が増えていってて、大画面ではフレーム数が少ないとカクつきが目立ってしまう問題もあったりします。そのためにフレーム数を補完したり分割したりですね。

2Dでも作画枚数の話でアニメが少なめならリミテッド、アニメーションが最大ならフル(24フレーム相当)と言われてきました。でもフレーム数が増えていっているとなると、フルでもリミテッドということに……。

見里:自分の作品でも液晶テレビで見ると、勝手にフレーム数が補完されてヌルヌル動いたりしています。だからといってあんまり自分はコマ撮りでフレーム数を増やしたくないですね。人間の手で命を吹き込んで動かすスタイルを今後も大事にしたいです。若干カクついてチープに見えてしまったとしても、手作り感としてポジティブに捉えてもらえるんじゃないかと思っています。3Dと差別化できていっている感じはするので、コマ撮りの価値を見いだせてもらえてるのではとも思います。

真狩:アニメーションは絵を描くことが前提みたいなところもありますけど、本来は撮影したのを動かすことが前提であるはずなんですよね。昔は2Dでも絵を描いた後でセルをフレーム単位で撮影していたわけですから。なかなか分かってもらいにくいところとしては、タイムラプスとピクシレーションの違いとかも。

見里:そうですよね。ちゃんと説明するとなると難しいところがあります。タイムラプスは撮影前にカメラで一定の間隔を置いた設定にしていて、撮影後はフレーム数を調整しませんけど、ピクシレーションはコマ撮りなので、撮影後に制作ソフトでフレーム数を調整するという感じでしょうか。タイミングをずらして、実写では不可能な動かし方をさせるのがアニメーションとしての魅力ですし、「嘘」が許される世界なんじゃないかなと思います。

真狩:それから人形劇とコマ撮りの違いについてはどうですかね?これは2Dや3Dでもライブ配信後にキャプチャーしていたモーションのフレーム数を調整するかしないかの話でもあるんですけど。

見里:人形劇は実写で動かすことを指してませんかね?コマ撮りしているのならアニメーションなので違いはあると思います。立たせることができない人形で、支えているものを編集で消して動いているように見せるという、ある意味「嘘」をついているものはアニメーションと言えるのかもしれないですね。確かにそこら辺の境目は難しいんじゃないかと思います。

コマ撮りできない素材を使って「嘘」をつくのも、手作り感を出すことにつながるんじゃないでしょうか。かといって実写でもできてしまうものをアニメーションにしてしまうと、それはアニメーションでやる意味があるのかと、必然性を問われてしまうようにも思います。

SSFF&ASIA

SSFF&ASIAより。この年から通常のグランプリ以外に
ジャパン部門などもアカデミー賞に応募が可能となった

真狩:先ほどのアニメが商品展開寄り、アニメーションが制作過程寄りという話の例としては、現状として見里さんは制作過程寄りから商品展開寄りにもなりました。その前の段階として学生時代にネットで作品を公開する時、タイトルには「自主制作」とか「インディー(ズ)」とか一緒につけていたとは思うんですけど、どうしてました?

見里:最初は「自主制作」って書いてましたね。というのも、その時にYouTubeとかで見ていた作品のタイトルに「自主制作」って書かれていたのが多くて、その影響かなとは思います。本当に少人数で作ったというのを証明するために使われてるんでしょうかね。

でも最近はシンプルに「短編」と書くようにしていました。わざわざ「自主制作」って書かなくても、それなりの人数で作ったのが分かってもらえると思ったからです。それで徐々に情報量を減らしていくようになりました。

真狩:SNSでは、人気の出た人はタグ荒らしみたいになってしまうんで、そうしたハッシュタグを使わないでほしいという意見も見られます。

見里:それもあるかもしれませんね。ある程度「自主制作」や「短編」を作っている人だと分かってもらえるようになっていったから、自分は名称を縮めていったのかなとも思います。こればかりは個人差があると思いますけど、知名度が上がって情報量が多くなったから減らすというのもあるかもです。自主制作なのは分かってますし、クドくなってしまったりとか。逆に分かりやすさもあるんで、その辺りも難しいですね。

真狩:個人差のほかに前提にしている規模でも違うところがあるかもしれません。例えばアニー賞だと2019年まで、映画の同時公開館数で1000館未満の作品をインディペンデント部門で扱っていました。でも日本だと多くても300館から400館なので、アニー賞では普通にインディペンデントになってしまうという……。

またゲームでは開発費が10億円だとしたら、1億や2億ならインディー(ズ)になるのかという話にもなっているようです。アニー賞も制作費で分けるようになったみたいですけど。

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