青年教師の奥山伸一は、生意気盛りの小学6年生のクラスを担当している。
家庭で両親と言葉を交わすことなく、学校でも不機嫌で喧嘩ばかりしている男の子。長い闘病生活で気持がすさんでいる女の子。
そして、その二人が引き起こした「人形事件」。
映画は、この二人の成長を軸に進行していく。
奥山は、様々な事件、授業や話し合いを通じて「人生で本当に大切なこととは何か、正しい価値とは何か」を生徒たちに伝えていく。
例えば、「社会の礎」とは? 「親の役割」とは? 「最大の親孝行」とは? 「頑張れ」とは? 「リーダー」とは? 「生きる力」とは? 「教育の目的」とは? 「勇気」とは?
そうした中、生意気だった生徒たちの心に「自信と愛と志」が徐々に育っていく。
そして、そんな奥山を、焼鳥屋に集う人生の先輩達(市長、教育長、校長、社長などの特別出演)が、事あるごとに励まし続ける。
実は奥山の教育理念は、大怪我で学校にほとんど通えなかった小学1年生の時の親・教師・医師らの言葉や行動が源であった。
映画では、それらが回想シーンの中で明らかになる。
卒業式の前日、奥山は恩師から受け継いだ「偉い人より、立派な人に」という言葉を生徒たちに託す。
それから二十年後、奥山は一通の手紙を受け取り、「人形事件」を引き起こした二人の結婚式で父親役を果たすことになる。
監督のコメント
この映画「先生、ありがとう」は、私が住む景観豊かな山形県寒河江西村山郡のさらなる町おこし・活性化を目指し、地域・行政・学校を巻き込んで制作した教育映画です。
実際、学校や病院をはじめ、寒河江西村山郡の近隣各地を撮影現場とし、300人を超える住民(特に子どもたち)に出演してもらいました。
スタッフも出演者も全員が素人ですが、子どもたちの“心の強さ・美しさ”を育みたいという映画の強烈なメッセージに誰もが共感し、この映画作りに真剣に参加してくれたのです。
映画に何度も出てくる「先生、ありがとう」という言葉を通して、たった一人の教師が子どもに託す『大きな力』を皆で再認識し、生きていく上で本当に大切なことを子どもも大人もあらためて考えて欲しいという願いを込めて、この映画を貴映画祭に出品いたします。
監督の経歴
昭和30年10月16日生まれ
昭和49年 3月:千葉県立千葉高等学校卒業
昭和53年 3月:早稲田大学第一文学部中退
昭和59年 3月:山形大学医学部卒業
昭和63年 3月:山形大学医学部大学院修了(医学博士)
昭和63年 4月:山形大学医学部眼科助手
平成 2年 4月:山形大学医学部眼科講師
平成 5年 4月:寒河江市に鈴木眼科を開院
平成10年 7月:寒河江絵本読み語りの会 会長(〜現在)
平成13年 4月:日本眼科医会「児童生徒の視覚検討委員会」委員長(〜平成14年3月)
平成14年 4月:山形県教育委員会 学校評価調査研究協力委員(〜平成17年3月)
平成15年 4月:山形県教育委員会 心の教育推進委員(〜平成16年3月)
平成15年10月:第1回 映画監督作品「色覚バリアフリー」完成
平成16年 4月:山形県生涯学習指導者(〜現在)
平成16年 4月:絵本フォ−ラム「絵本読み聞かせ」養成講師(〜現在)
平成17年 4月:山形大学医学部非常勤講師(〜現在)
平成17年 5月:読売新聞山形支局「インク壺」執筆委員(〜現在)
平成18年 4月:絵本フォーラム「喜怒“愛”楽」執筆委員(〜平成19年12月
)
平成18年 4月:山形県教育委員会 いのちの教育講演講師(〜現在)
平成20年 4月:山形県教育委員会 いのちの教育推進委員(〜平成22年3月)
平成20年 9月:寒河江ボーイスカウト育成会 会長(〜現在)
平成21年 2月:山形県西村山地区学校保健功労者表彰
平成21年 9月:山形県教育委員会 教育懇話会委員(〜平成22年3月)
平成21年 9月:紺綬褒章
平成21年11月:寒河江市感謝状
平成22年 4月:山形県眼科医会 副会長(〜現在)
平成22年 4月:東北眼科医会連合会 理事(〜現在)
平成22年 6月:第2回 映画監督作品「寒河江ロータリークラブの1年」完成
平成22年11月:第3回 映画監督作品「Dr.イッサク診療所」完成
平成22年12月:映画「先生、ありがとう」制作委員会 代表(〜現在)
平成23年11月:日本眼科医会「学校保健委員会」委員長(〜現在)
平成24年11月:第4回 映画監督作品「先生、ありがとう」完成
スタッフ一覧
●撮影スタッフ |
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鈴木一作監督の作品一覧
作品名 | 監督名 | 上映時間 | 制作年 | 字幕 | |
先生、ありがとう | 鈴木一作 | 113min | 2012 |